こんにちは。神奈川県川崎市とオンラインZOOMにて
指で色を伸ばして描いていくオイルパステル画
【チョークアート】の教室を開催しています、岡崎彩子です。
講師歴16年😊
のべ1600人の方にレッスンさせて頂いてきました。
家族構成は、
釣りと猫が大好きな夫、
ゲームと料理のお手伝いが大好きな小学生の長男、
スターウォーズのダースベイダーが大好きな幼稚園児の次男
の4人家族で暮らしています♪
今回は、私のチョークアート教室への想いを書かせて頂きます。
どうぞお付き合いください。
子供時代
1982年長崎県長崎市生まれ。
小学校1年生から神奈川県川崎市で育ちました。
子供のころは、わりとどこにでもいるような女の子。
雑誌はりぼん派、動物のぬいぐるみが大好き。そのぬいぐるみを主人公にしたマンガを書いて兄に読ませていました(笑)
外で遊ぶよりも家の中で本を読んだり、お菓子を作ったり、ゲームをしたりミニ四駆を作ったり(この辺は兄のマネをして・・・)するのが好きでした。
海外ドラマから英語にハマる
中学~高校生の時見ていた海外テレビドラマの影響で、海外ってこんなに日本と違うの!?
ということに気がつき、英語や海外に初めて興味をもちました。
実は幼稚園の時に英会話を習っていたのですが、私としてはただ兄がやっていたから私もやりたい~という理由で始めたので、すぐに嫌になってしまい英語の習い事の日は逃げていたのをかすかに覚えています。
「小さい頃は発音良かったのにねぇ」と母にも言われ、くやしくて「発音を取り戻してやる~」とそこから改めて英会話を習い始めました。ネイティブの先生方と話しながら学んでいくと、ますます英語や海外の文化って面白いなと感じるようになっていきました。
高校では習わない言い回しを学んだり、カルチャーショックを受けることもとても多く、高校に行くよりもその学校帰りに英会話教室に行くのを楽しみにしていました(笑)
そして高校3年の夏休みに念願のアメリカ留学へ。勉強でしかなかった英語が人と人とのコミュニケーションツールである英会話に変わり、伝わるって面白い!文化が違う人たちが分かり合えるのって楽しい!!と強く感じました。
それまで引っ込み思案で自分の意見など言いたくてもあまり言えなかった私が少し積極的になれたきっかけだと思っています。
語学系の専門学校からプログラマーへ!?
英語を使ってコミュニケーションをする事がとても楽しいということに気がついた私は、高校卒業後、語学系の専門学校に入学しました。 そこで通訳や翻訳を学び、卒業後には海外の会社とつながりがあり英語を使うことが必要な会社に就職しました。
「やった~!お仕事がんばるぞー!!」と思っていた矢先・・・
入社してからすぐにその会社は外資系との取引が打ち切りになったそうで、全く英語を必要としない仕事が続きました。
「そんな~聞いてないよ~・・・(´;ω;`)ウゥゥ」
そんな全く英語が必要とされない日々・・・プログラミングの会社だったので、新しくプログラミング言語を学びました。幸いだったのは我が家は子供のころから家にパソコンがあり、自由にさわらせてもらえていたので、パソコン作業も苦ではなく、プログラミングを学ぶのも嫌ではありませんでした。言語という分野においては、英語を学ぶということに似ていたので、面白さも感じていました。
しかし、新しいプロジェクトが始まると毎日が目まぐるしく忙しくなっていきました。
朝7時には自宅を出て、夜は終電。
帰宅は深夜0時を過ぎることもザラでした😨
仕事中の昼休みも家で作ってきたお弁当を15分位で食べ、後は机に突っ伏して寝るか、全体のノルマの足を引っ張らないように休み時間も作業をつづける。
そんな日々が続きました。
今日の天気が晴れだったのか雨だったのかさえわからない、都会のビルの中。
休みの日は疲れてずっと寝ている。
夢にもプログラム言語が出てくる。という疲れ切った日々でした。
私、何のために働いてるの?なんのために生きてるの?
そんな風に感じていましたが、忙しすぎてあまりよく脳が動きません。
ようやく、そのあまりにも多忙なプロジェクトが一段落ついた時、この会社を辞めようという決心をして退職しました。
居心地のいい会社に転職したものの・・・
元々思っていた、英語を使う仕事に就きたいと思い、輸入商社の営業事務に転職しました。そこの会社は英語を使ったコミュニケーションも必要でしたし、一緒に働いていた皆さんも上司の方々もとてもいい方ばかりで、女性でも就職したら定年までそこで働くという方が多い会社でした。それだけ居心地のいい会社と言えたと思います。
そんな素敵な会社でしたが、私の頭の中でひとつだけ、いつも思っていることがありました。
長期間海外で暮らしてみたい。
私の語学力を海外で試してみたい。
海外で働いてみたい。
そんな思いがずっと胸の中にあり、
そのとても居心地のいい会社を3年しないうちに退職しました。
周りからは、
😮「もったいないよ!もうこんな会社に就職できないよ!」とか
🤔「海外に行って帰ってきてなにするわけ?」
😥「もっと計画的に考えたら?」
😅「長期間海外って…彼氏さんどうするの!?」
(↑当時同棲していました。現在の夫です😊)
などなど、色々心配されました。ごもっともですよね・・・
私の中でも迷いはありました。
居心地のいい会社でしたから。。。
でも、きっと
今踏み出さないと、いつまでも決められないと思い、決心しました。
24歳、オーストラリアへGO!
ワーキングホリデー制度というのをご存じでしょうか?
それは日本と協定を結んでいる国で、異なった文化(相手国)の中で
・広い国際的視野をもった青年を育成
・両国間の相互理解、友好関係を促進すること
を目的に1年間の滞在ビザが発行されるという特別な制度です
私は今まで働いて貯めたお金を持って
そのワーキングホリデー制度を利用し、オーストラリアに行くことを決めました。
まずはオーストラリアに住んでいる友人の家に滞在させてもらい、語学学校に通うかどこか仕事を探すか決めようと思い、しばらく考えていました。
深夜0時まで働いていた昔の私から殴られそうですね(笑)
観光したり、農家で農作業の仕事をしたり、ダイビングのライセンスを取ったり、、、
世界の中心で愛を叫んだり叫ばなかったり・・・
エアーズロックにて
しばらくホリデー感覚だったのですが、、、
途中であるものに目を奪われることになりました😮
当時、私が滞在していた場所はオーストラリアの東側。
ブリスベンやゴールドコーストの辺り。
白い砂浜が続き、海はどこまでも美しいコバルトブルー。
会社で働いてるらしい人々も、スーツではなく短パンにTシャツ。
そしておしゃれなカフェが何件も並んでいました。
そしてその店先には必ずと言っていいほど手描きの看板があったのです。
日本ではカフェの看板やお店の看板やメニューは、多くが写真が印刷してあったり、実物の模型が展示してあったりしますよね。
それがオーストラリアでは手書きの看板が多いのです。逆にそちらのほうが古風なのかもしれませんが、日本ではあまり見たことの無い光景だったので私は目を奪われました。
黒板に、美味しそうなオレンジやバナナやチェリー、ストロベリー。
いまにも看板から飛び出してきそうなカフェラテ。
とろけるチーズが美味しそうなピザやハンバーガー。
時には絵なのか写真なのか、見まごうぐらいリアルな看板もありました。
普段看板なんて、何を注文するか決める為に見るだけの物なのに、
わたしはその絵の可愛さに魅了されていました。
「これ、、、絵だよね?え?写真かな・・・?」
「こっちは完全にイラスト。でも何で描いてあるんだろう?絵の具?う~ん違うような。」
「あ、こっちのレストランにもある・・・可愛すぎる・・・こんな素敵な絵を家に飾りたい
。オーストラリアのカフェっておしゃれだなぁ~。」
それが【チョークアート】と呼ばれるものだと知ったのは
しばらくたってからでした。
チョークアート第一人者の師匠との出会い
サーファーズパラダイス(という名の街)の一角で、一冊の情報誌を手に取って読んでいた時、「チョークアート教室」という目が飛び込んできました。
そこには私の目が釘付けになったあの
【何で描いてあるのか不明で素敵なリアルでカワイイ絵】の写真と
それを教えている教室の案内がありました。
「え!?これ、あれじゃん!!」
「教室があるの!?」
「教えてくれるの!?」
「チョークアートっていうの!?!?」
やってみたい・・・
特に絵に自信があったわけでもありません!
美大に行っていたわけでもありません!
絵なんて中学の美術の授業以来描いてなかった気がします。
それでも、
あの絵を教えてくれるところがこの街にある!!
学んでみたい!!
その気持ちが溢れて止まりませんでした。
学んでる間の滞在先を決めて
申し込みをして
ドキドキワクワクして
レッスン初日を迎えました。
Hello!! welcome to my chalkart study!!
(私のチョークアート教室へようこそ!)
長いブロンドヘアーがたなびく、めちゃめちゃ明るい感じの細身の女性が
チョークアート第一人者と呼ばれる方でした😊
アトリエには彼女のチョークアート作品がたくさん飾ってあり、私はまた目を奪われました。そこにはリアルなものからポップなチョークアートまでたくさんあり、
こんな作品はいままでに見たことないと感じるものばかリでした。
リアルで可愛く、本物のようで本物じゃない
リアルで可愛いハンバーガーやカフェラテや
サンドイッチやプルメリアのチョークアート。
そして、そこでもうすでに習いはじめていた先輩たちのチョークアートを見て
私もこんな風に描けるようになるのかな・・・
なんて思いもせずに、ただただ、
上手な人っていいなあ🤔と思いながら、習い始めました。
今でこそ、周りから
「絵がうまくていいね😮」
「もとから上手かったんでしょ?🤔」
「絵心あるってうらやましいよ~💦」
なんて言われている私ですが、
初めての私のチョークアートはあまりにも今とは違った出来映えでした。
ちなみにその初めてのチョークアート作品、
生徒さんに見せるのが恥ずかしくて、すでに処分(笑)してしまったのですが
最近写真で見つかりました。。。
見てみたいですか?😅💦
↓
↓
↓
↓
↓
ドキドキ・・・😅💦
こちらです!
じゃーん!
えっ?ろくろっくび・・・?
または、いったんもめん?
おそらくリボンを描きたかったのでしょう。
これが私の初めてのチョークアートでした😅💦
決して上手い!!!とは言えませんよね。
でもこんな私でも、少しずつ少しずつ学んでいくことによって、
今は教室が出来るようになりました。😊
現地のチョークアート教室でチョークアートを書いて販売できるプロフェッショナルの資格を取った後、
そこの教室で日本人の生徒のために先生の英語を通訳してくれるアシスタントが必要ということで私は立候補して働かせて頂きました。
師匠の英語を日本語に通訳してチョークアート初心者の生徒さんに説明させてもらったり、師匠が店で販売する絵の制作の手伝いも板塗りも発送も買い出しも、思い起こせば色々やらせていただきました。
その時の経験は、いま教室を開催するのにとても役立っていると思います。
プロの資格を取っても、まだまだ一人前になりたてのアーティストであった私は自分の作品を製作するときにも悩んでばっかり。
なにかが違うのはわかるけれど、どこをどう直したらいいのかわからない。
もっと上手くなりたい。
もっとリアルに可愛くデザインしたい。
そんな私に師匠が声をかけてくれました。
「あなたは昔の私に似てるわね。私ももっと上手くなりたい、
もっともっと伝わるものを書きたいと、昔からずっと思って描いてきた。
今でもそう思って描いてるわ。向上心のあるあなたはきっと
素敵なアーティストになれると思う。」
その言葉は今でも私を支えてくれています。
アシスタントを経て、チョークアートを人に伝えられるという仕事を経験した私は、帰国したときにこのチョークアートの楽しさ、おもしろさをもっともっと沢山の人に伝えたいと思い講師資格を取りました。
たくさんの生徒さんに囲まれて、チョークアートを教えている自分の姿を夢に見ながら。
あれ?求められてない・・・?
そして晴れて日本に帰国。
私の心はワクワクでいっぱい!!
早速チョークアート教室を開こうと思い、 まずはホームページを作ったりブログを作ったりして生徒さんを募集しましたが・・・。
だれも来ない。誰も見ていない。😨
あれやっぱりチラシを配った方がいいのかな?と思い
たくさんの店を回り、チラシを置いて下さいとお願いしました。
しかし、営利目的のチラシは置けない。と、ほとんど全てのお店から断られました😨
たった一軒だけLOFTさんが置いて下さって、飛び跳ねるほど嬉しかったのを覚えています。
その後もほとんど生徒さんが集まらずチラシも置いてもらえず
途方に暮れていました😭
そんなときに友人や親戚が、チョークアートの看板を書いてほしい。
結婚式のウェルカムボードを書いて欲しい。
そんな風に言って、たくさん応援してくれました。
そんな優しい心に救われて、もう諦めて切れそうな糸をつなぎました。
たくさんの方に支えられて今があります
「もう、趣味にしたら?」
「教室じゃなくて、販売の方に力を入れてみたら?」
そんな言葉も周りから多く聞こえました。
ありがたいことにホームページから、結婚式で飾るウェディングボードや
ウェルカムボード、カフェから店頭看板の依頼も少しずつ入るようになっていました。
納品の時「実物ってすごいですね!原画って写真よりずっと素敵ですね!」と言っていただけることが心から嬉しくて、毎回舞い上がる位でした。
ですが私は、やっぱりこの指先から描く楽しさ、
あのイラストの様な写真の様な、立体感のある可愛いチョークアートを、
絵なんて描いたことの無い、学んだこともない人が描けるようになる喜びを、
私がオーストラリアで味わったカルチャーショックともいえるこの楽しさを伝えて、新しい世界を発見してほしい。
そんなことが実現するチョークアート教室をしたかったのです。
そんな時、すでに私よりもずっと前からチョークアート教室を開催していた先輩アーティストの方から「私はオーストラリアに引っ越すので、いまやっているカルチャーセンターのチョークアート教室を引き継いでくれませんか?」
と連絡を頂きました。
その大先輩の後継が私に務まるのか・・・私でいいの?😮
まだまだ心がひよっこな私は不安と緊張でいっぱいでしたが
そう言って下さった先輩の気持ちをありがたく受け取り、やらせていただくことにしました。
その教室にはすでに在籍されていた生徒さんが数人いらっしゃって、その方たちにとっては「なんでこの子が来たんだろう?」と不思議に思ったかもしれません。ですが、本当に温かく私を迎えてくださり、「彩子先生😊♪」と呼んでくださって、その生徒さん方が、私を先生にして下さいました。その時の方々には今でも感謝しかありません。
その教室にまた後から入ってくださった生徒さん方からも。
「チョークアートなんて聞いたこともなかったし、見たこともなかったけれど、
飾ってあったかわいい絵を見てすぐに私もやりたいと思ったの💕」
と言ってくださった方が何人もいらっしゃいました。
「今まで油絵や水彩などソフトパステル画とか、
いろいろなアートをやってきたけれど、これが一番楽しいわ。
毎月先生に会えるレッスンを楽しみにしてるのよ。
一生続けられる楽しみをありがとう。」
と言ってくださった方もいらっしゃいました🥲💕
それは、まだまだひよっこだった私への、応援を込めたお世辞だったかもしれないけれど、私は本当に本当に嬉しくて、今までのことが全部報われた気がして泣きそうになるぐらいでした。
あのときオーストラリアで私が受けた衝撃、
「うわぁ!かわいい!!」
「これって絵なの!?」
「自分で描けるの!?」
という衝撃、ドキドキワクワクを、あなたにもぜひ体験してほしい。
絵心がなくても、立体的に素敵に描けるようになって、ほめられる。
その嬉しさ、胸がいっぱいになる気持ちを伝えたい。
そしていつか、私と一緒にこのチョークアートをもっともっと広めてくれる
誰かも育てたい。
そんな想いでチョークアート教室を開催しています。
これからも、
まわりはいろどりに満ちていて
自分の人生もまだまだ知らなかった
楽しいことがあふれてる。
そんな風に思っていただける教室を目指して
頑張っていきたいと思います。
長いナが~い文章にお付き合いくださって
ありがとうございました😊
これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。
いろどりCOLORS
岡崎彩子